物語えほんの歴史④

前回のあらすじ
「物語えほんの歴史」最終回!物語絵本の歴史を掘り下げたら、「語る」ことを見つめ直すことになりました。こどもとの日常の中で語り合うこと。そこが物語絵本の生まれ出てくるところ。

藤田進(以下、進):物語の役割って、「世界や自分自身と出会うことじゃないか」って話しましたけど、その物語が生まれるところって元をたどれば、日常生活の中から生み出されてきているものですよね。

松本崇史(以下、松):そう。ごく普通の何気ない毎日だったり、たあいもない会話だったりすると思う。物語は日常の中にたくさんあるもの。

:僕たち、なんとなく人生や経験を積み重ねて成長するっていうけど、そうじゃなくて「布みたいに織り合わされていくもの」っていつか言っていたでしょ?

:人生って、時間を積み重ねて成長していくんじゃなくて、布みたいに織り込んで紡ぎ出されていくってやつね。ニュージーランドのテファリキだ。

:織り込んでいくって意識、むちゃくちゃ大事だと思うんですよね。こどもを見る場合にも。そして「物語を紡ぐ」っていうように、言葉 / 物語も折り合わせるってほうがしっくりくる。

:日常の中のよいことも悪いことも含めて、日常のすべてが紡ぎ合わされて言葉 / 物語になる。そしてその物語によし悪しをつけないで、まずは自分自身が受け止める必要があるよね。だって、それがその人の言葉であり、物語だから。

:その受け止める「幅」が、絵本の役割の「幅」って言っていたことと通じるな。たとえどんなにつたない言葉であっても、そこから始めないと始まらないし。

:そう思うね。自分の日常の感覚は大切にしたほうがいい。そういう日常から漏れ出る物語には、普遍性があるし、出来合いの物語よりがぜんおもしろいぞ。何より、そういう物語は自分の人生が問われる。

:そこにはさ、生きることの楽しみや喜び(生命の肯定)があってほしい。僕たちは絵本の中にそういう物語を探しているんだ。(「物語えほんの歴史」おわり)

※この記事は庭しんぶん16号(2018年12月号)に掲載されたものです。

松本崇史(まつもとたかし)
鳴門教育大学で保育・絵本を学ぶ。絵本屋を経験し、その後、任天会の日野の森こども園にて園長を行い、ほとんど事務所におらず現場にいながら、こどもたちと遊びを謳歌している。現在、おおとりの森こども園園長。雑誌『げんき』にて「保育ってステキ」を連載中。
藤田進(ふじたすすむ)
好奇心や探究心をたっぷり使いながらこどもと日々を過ごせるように、そして、こどもとこの地球や社会をどのように分かち合うかを模索しながら、絵本やおもちゃの販売、庭しんぶんの発行、研修事業などを運営中。札幌第一こどものとも社代表。庭しんぶん編集長。3児の父。
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