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「許す」は確かに大きなテーマです。人に言われた悪口、誹謗中傷、意地悪は忘れられません。忘れたようでも何かのきっかけで思い出して、気持ちがふさいだり、苦々しさを覚えます。許そう、許したいと真剣になればなるほど許せない自分に向き合う。ここに意味があるのではないかと思っています。
大抵、相手が悪くて自分が正しい時ほど許せません。しかし、明らかに自分が悪い時でも、自分に言い訳していることがよくあります。「あの時はそうするよりしかたがなかったんだ」と、少しでも正しい位置に自分を置こうとする働きで、「自己正当化」といい、抑えがたいほどに強いのです。これが許すことを難しくしている深い根です。私たちは正しさを教えられ、正しさを頼りにし、正しさを褒められ、正しさを求めます。しかしその正しさを振りかざして人を攻撃したり、追い詰めたり、非難したりします。正しさを武器にすると、相手を徹底的にやっつけることになります。その時、相手を思いやる気持ちはとても小さくなります。先ほど許せない自分に向き合うと言いましたが、自己正当化と思いやる気持ちは反比例します。
わが家のこどもたちが小学生の頃、よく兄弟げんかをしました。気持ちが穏やかになってから当事者の2人を呼んで事情を聞きます。ジャッジをしないで聞いているうちに、どちらか一方が「ごめん」と謝ります。もう一方が「いいよ」と答えます。その時私は、「謝るのは難しいけど、許すのも難しい。大人でもできない、偉いね」と言います。こういう経験ができる兄弟げんかはよいものです。
私たちは相手を非難し、自分を正しい位置に置こうとします。こうして自分の正しさの中に逃げ込んだり隠れたりします。その時の自分に向き合えば、心の狭い、弱い、情けない、間違いだらけの自分の姿が見えてきます。それが見えた時、心から「ごめん」の言葉が出てきます。本心から許そうと思うのも、自分の内側に同じ姿が見えてくるからです。これが思いやりではないかと思います。こんな自分を受け入れてくれる家族や友達やこの世界に気づく時、許せない相手を思いやる気持ちが湧き始めます。
藤田春義(ふじたはるよし)
1954年秋田県生まれ。むかわ町にて保育の仕事を6年余り経験し、その後、札幌第一こどものとも社に勤務。1996年に絵本とおもちゃの専門店「ろばのこ」を立ち上げ、育児教室を開催してきた。北翔大学短期大学部非常勤講師。札幌国際大学非常勤講師。